真言宗豊山派 山野山 正延寺      
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本尊 胎蔵界五智如来
弘法大師座像
興教大師座像
曼荼羅
阿弥陀如来三尊立像
伝持八祖 掛け軸
十王図 掛け軸

興教大師 覚鑁

(こうぎょうだいし かくばん)
弘法大師がご入定(高野山にお隠れになる)されたのち、真言宗は衰退の一途をたどります。平安時代中頃には、真言宗は荒れ果て、僧侶による権力争いが横行していたようです。

それを嘆き、真言宗の立て直しのために奮闘されたのが、中興の祖といわれる覚鑁上人でした。
立て直しを図ることにより、当時の権力者からうとまれ、高野山を追放された覚鑁上人は、和歌山の根来寺に移り、真言宗の正しいあり方を説きました。

戦国時代に入り、根来寺が焼き討ちされるも、生き残った僧侶が奈良の長谷寺と京都の智積院に逃げ延び、その教学を守ります。

奈良の長谷寺は「豊山派」。京都の智積院が「智山派」となり
今に伝わります。

江戸時代になり、上人亡き後、その功績が徳川家に認められ「興教大師」という諡号(しごう)が贈られました。



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